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きまぐれに更新してます。

仕事観について

転職が決まって年明けから、次の仕事が始まるのですが。

これを機会に、少しだけ魚屋の仕事観を語れればと考えました。

 

まずは、ワークハードという考え方。

この呼び方は最近知って、使うようになりました。

 

どこかの偉い人が、その昔こんな事を言ってました。

 

入社して最初の10年は泥のように働いてもらい

次の10年は徹底的に勉強してもらう

 

私は、両親と「ドラゴンボール」の影響からか

「死の淵である限界まで頑張って這い上がれば超パワーアップする」

というジャンプ的発想が根底にあり

幼少時から「限界突破」を繰り返していました。

 

おかげで、上述した言葉の言外にあると予測される

「量をこなさなければ見えてこず、教わっても分からないものがある」

という事を、心の中に秘めていました。

 

今の20代は

「何かを必死にやり遂げて結果を得る」

という経験に乏しい気がします。

※これはゲームの影響と言えそうです。(詳しくは語りませんが)

 昨今のゲームは「小さな成功体験を積み重ね」させて飽きさせないように

 様々な工夫をして売上を伸ばしていますが、実世界での成功体験へ

 敷居を上げているというデメリットもあります。

 

そして、インターネット世代である為に、様々な情報に触れてきました。

玉石混淆の情報に、自らの軸を以って触れるということが出来ていません。

清濁併せ呑むと言った精神も蒸留されていないことでしょう。

 

だから、安易に「泥のように働け」と言われても

「出来ない」「嫌だ」「ブラックだ」

なんてレスポンスしかありません。

 

こればかりは、社会人になるまでに経験出来るように両親の工夫が必要です。

そういった意味でも、私は両親に恵まれて、様々な苦境を経験してきました。

(個人特定に繋がる為、割愛しますが)

 

社会人になってから、所謂「デスマ」を早速経験しました。

これは、本当に辛く、自らの未熟さから人間関係もボロボロでした。

 

量的なワークハードを経験したから、もっと出来るってわけではないです。

単純に、膨大な量の仕事が舞い込み、同量の変更も舞い込む中で

如何に早く、正確に、変更に耐えうる仕事が出来るかが鍛えられました。

それにより、通常業務での仕事速度・仕事品質は一気に一人前レベルへ。

 

そうすると、上司や先輩からも玉石混淆の仕事を任されるようになり

更に「仕事を見極める目」も養われました。

 

そして見極める目が養われ、仕事の速度も精度も一定レベルに達し

上司からも相談され、見積チェックをしたりと、何でも屋になって

未経験の仕事も割り振られ、部署内でもメインレベルのポジションに。

 

そうした量的ワークハードを20代で経験する事で、

30代では質的ワークハードに移行する事が出来ます。 

 

若手に常に言うことがあります。

仕事の量を網の大きさ、仕事の質を網の目の大きさとして考え

まずは網を大きくしろ、慣れたら細かい目の網を使っていけ。

最初に量を熟さないことには、見逃しているものに気付く事すら出来ません。

大量の仕事を熟していく中で、全体像を見ていくということが必要になります。

そうして、全体像が見えてこそ、各タスクの精度ベクトルが見つかるのです。

 

 

次に、因果応報という考え方。

この単語は、勧善懲悪なシーンで使われる事が多いですが

「原因に応じた結果が報いる」という意味です。

 

何が言いたいかというと「利己」と「利他」という考え方に繋がります。

多くの人は、当然「利己」で仕事をします、これは当然です。

しかし、少し想像力を働かせてみてください。

「利己」という結果に繋がる「利他」という原因を創出することで

社会は循環しているのです。

 

もし、全員が「利己」という原因から「利己」という結果を求めれば

それは、循環しない社会となり、廃れる一方です。

※経済とか会社について勉強すれば分かる内容なので割愛しまくりです。

 少し補足すると、黒字倒産という言葉があります。

 赤字でも会社は経営できます、それはキャッシュフローがあるから。

 単純化して極端に話をしていますが、その辺りを勉強すれば理解出来ます。

 

つまり、企業活動というのは、

誰かの為に仕事をするという原因を生み出し

自らの元に対価を得るという結果を循環することです。

 

これは至極、当たり前の事なのです。

しかし、残念ながら企業という組織に入った途端に見失いがちになります。

目の前の仕事、目の前の給料、休み、残業など、狭い視野になり

簡単に見失ってしまう、しかし大善的な基本観念です。

 

常に、ステークホルダーを理解し、見据え、心を向けて仕事をする。

当然の事ながら、なかなか実践の厳しいものです。

定期的に自らが仕事を「誰の為に、何の為に」していたのか振り返りたいですね。

 

「利他」(原因)は大きければ大きいほど「利己」(結果)も比例します。

その分、リスクやコストなども比例します。

どれだけ大きなリスクを背負い、大きなコストを回収していけるか。

それは前述の「ワークハード」によって決まってきます。

 

20代のうちは、社内の誰かの為でも良いでしょう。

尊敬しうる上司や先輩が少しでも楽になるように、そういった所から始まります。

30代になれば、社外の為、社会の為に考えましょう。

40代になれば、世界の為、未来の為に考えるようになってきます。

 

綺麗事のように聞こえますが、全ては「利己」が目的です。

「利己」の為に「利他」を巻き込んで考える事で、上質な「利己」を得る。

それは、金銭だけでは得られない精神的な充足でもあります。

利己的ですと開き直るような人も居ます。

しかし、特に日本人は元来「利他」を大切にしてきた民族です。

資本主義が入ってきてから、大きな勘違いをして「利己」主義に走る人が増え

それが常識と語られ、刷り込まれてきているだけの短い歴史です。

 

日本の誇るべき労働観、それは「共認充足」によるインセンティブな考え方です。

※共認充足とは

 人間が持つ欲求には「マズローの法則」という5段階があり

 最高次元の「承認欲求」と「自己実現欲求」を満たすには

 共に認め合える環境が重要という考え方です。

 

 

そして、自己成長という考え方。

社会的生命体として、地球上で活動する人類にとって

労働とは、生存活動の一環であると考えられます。

 

個人的に「ワーク・ライフ・バランス」という言葉はナンセンスと感じます。

仕事という労働は、生存活動の一環だからです。

そこにバランスというのは、おかしな話です。

ワーク・ライフ・バランス」ではなく「ワーク・ホビー・バランス」です。

それなら私も理解できますし、賛同し得る言葉となります。

 

話が逸れましたが、生存活動に於ける労働というのは現在では大半を占めています。

先に述べたマズローは「人間は自己実現に向かってたえず成長する生きものである」と言い

より高次元の欲求を満たすほど、その成長は著しくなると仮定しています。

そうした欲求を満たし続ける事で、自らの成長を促し、豊かな生活を手に入れるのです。

働くことで自らを成長させ、その対価として高次欲求を満たしていく。

もちろん、金銭的な対価を得て低次欲求を充足させるという前提ですが。

 

 

さて、ここまで私の仕事観をお伝えしてきました。

ご拝読いただいた方の中には、別の仕事観をお持ちの方も居ると思います。

多様な意見や考え方は、私の成長欲求(自己実現欲求)を充足させるものとなります。

是非とも、ご意見ご感想がありましたら、コメントをお願いします。